チカチカのゴルフオイオイ話

東京のおばちゃんゴルファーがゴルフにまつわるオイオイな話を綴ります。海も好き。温泉も好き。

ゴルフ昔話 -ゴルフ停滞(2013~)

(これはゴルフにはまりはじめた頃の備忘録です)

 

2012年は、ベストも更新できて、コミュニティもできて、楽しくゴルフをしていたわけだが、そんな状況は長く続かなかった。

 

まず、2012年の終わりごろ、先生がスクールを辞めた。

これにはかなり驚いたわけだが、詳しい理由は知らないが、そのスクールでは何人かの先生が退職した。

先生は独立する予定だというので、スクールを立ち上げるまでは

懇意にしている練習場を借りてレッスンをするというので、

ワタシを含めて合計7~8名が先生の練習場でのレッスンに

移った。

 

しかも、しばらくは平日の夜のみで、横浜方面だったため、

ワタシは土日開催が出来るまで待つこととなった。

その後、土曜日の夜だけ開催することになり、通い始めたのだが、家から遠くて片道1時間くらいかかる。これはちょっと続けられないなあと思い始めた。

 

自立を目指す2013年

レッスンを受けて1年ちょっとたち、2013年は、自分でも積極的に練習場に行くようにしようと決めた。

 

2012年は、ラウンドレッスンとラウンドを多くしていた。先生にも、本物の芝で打った方がいいと言われていたし、自己流で変な癖がついた状態で練習場に行くよりも、レッスンで習った事をラウンドで確認するという形にしていた。

レッスンを始める前までは、練習場中心で時々コースに行くパターンを、レッスンを開始してから1年間は、レッスン週1回、ラウンドレッスン月1回くらいに変えた。

 

2013年は効率よくやりたいと思っていた。

コースに行くと、結局自分で調整しながら1日をすごすことになる。

ミスが続くとその日諦めて翌週レッスンに行って修正するパターンでは、始めのうちは良かったのだけれど、未来永劫レッスンを続けるわけではないのだし、2013年は自立しようと思ったのだ。土日休みの会社員だと、土曜日にラウンドが多くて、ラウンド帰りにスクールに行かれるととても効率が良いのだが、スクールが家から遠いと、億劫になって行かれない。そういうわけで、どうしようかと模索していた。

 

ゴルフ用のダイアリーも用意した。会社にあったノート型のカレンダー手帳なんだけど、ここにゴルフに関わる事をメモし始めた。良かった時のスコア。ダメだった時のスコア。パーが何個、ボギーが何個。見ていくと大分自分の状態がわかってくる。100を切るためには、ダボペースでは全然ダメで、ボギーペースを目指すのが2013年の目標とすることにした。となると3オン2パットを基本にしなくては。

新しく買ったスプーンの練習も兼ねて、2打目は出来る限りスプーンで打っていたが、ミート率は低いし、実は5Wと飛距離があまり変わらない。むしろスコア的には悪くなっている気もする。ならば2013年は安全さとか残りの距離を考えてクラブ選択をすべきと考えを改めた。常に3オンを目指す事。その中でショートホールでパーを拾う。それが一番確実に100を切れる事なんじゃないかと思い始めた。1打目はフェアウェイに置き、3打目までには残り150Y内につけることを目指そう。そう思ったらぐっと気が楽になる。無理して苦手なスプーンを打たなくても良い。5Wを2回でいいんだ。あるいはUT2回でもいいんだ。そう思う事にしよう。アイアンは何本もあるんだから、残った距離によって番手を変えればいい。そして少しずつ練習をして、距離を延ばす練習を続ければ良いんだ。一気にやろうとするからいけないんだと思った。コースはスコアメイクの仕方を学ぼうと思った。練習でショットの方向性、精度と飛距離アップ。

 

自立に向けてスタートしたはずなのに、思わぬ事態に陥った。

 

おもわぬ怪我 靭帯損傷

それは、3月1初旬のラウンド中に起きた。この日は高校時代からの親友とそのご主人とで初のラウンドをすることになり、千葉のゴルフ場へ行った。

そこでスタート直後に転んでしまい、左足首をひねった。カート道とラフの境目で足をふみはずし、ぐきっってやってそのまま転倒。思ったより段差が大きくて体勢を自分で立て直せなかった。ウチの父ちゃんの目の前で見事に転び、びっくりしたウチの父ちゃんが駆け寄ってきて起こしてもらった。

その時は何ともなかったのでプレーを続けていたら、お昼をはさんで後半の上がり3ホール目くらいから、徐々に足が痛み始め、終わるころには歩くのも辛くなっていた。帰るころには歩く事が困難なほど痛みが走った。

左足首は腫れあがり、激痛が走る。親友のご主人がお医者様で、湿布薬を持っていたのでそれをもらってすぐに貼った。家に帰っても全然歩けず、駐車場から部屋まではほぼ片足でケンケンしながら帰るような状態だった。それでも、自分ではそんなに重症ではないと思い込んでいた。その晩は家でも歩けなくて、床にお尻をついて左足をあげて家の中を移動するという状態になり、ちょっとひどいかもしれないと思い始めた。

3月後半にはあと3回ゴルフに行く事になっていたから、それでも2週間くらいで治るだろうと勝手に思い込んでいた。

 

翌日月曜は朝から大事な会議があったので、休めない。幸いにもウチの父ちゃんの会社と私の会社は1駅しか違わない。ウチの父ちゃんは会社に車で行ってもOKなので、朝車で送ってもらった。

 

月曜日、朝の会議が終わって午後整形外科に行くと、レントゲンを撮り左足首靭帯損傷と言われてしまった。

「ギプスに松葉杖が一番早く治る方法なんだけど、会社勤めの人にはギプスは酷だよねえ。通勤出来なくなっちゃうから、多くの人は、気をつけて歩きますって言ってシップと固定だね。松葉杖は使ったほうがいいね。でも早くて3週間~8週間くらいかかります。」

と先生は冷徹に言った。

「ゴルフは?」

と聞くと、

「最低1カ月はダメ、」

と、これも冷徹に言われた。

 

3月は21、23、24とあと3回もゴルフの予定があった。2週間あれば治るとばかり思っていた私は甘かったのだ。その日じゅうに全てのゴルフをキャンセルし、先生にもレッスンは暫くお休みしますとメールした。

 

ケガした日のラウンドでは、久しぶりにドライバーもよく当たってた。事前に先生からは難しいからRTじゃキツイかもと言われていたにも関わらずチャレンジし、54(17)-54(18)-108(35)と自分的にはまあまあな結果だっただけに、ガッカリ。また一からやり直しになっちゃうかもしれないとも思った。でも冬の辛い時期もそんなにヒドイ状態ではなかったので、暫くお休みしてもなんとなく大丈夫な気がしていたのだが、年をとるとブランクが結構重要なことが後でわかった。

 

松葉杖で生活することの大変さ

それにしても、生まれて初めての松葉杖生活はしんどかった。身体の自由が全く効かない。

もうひとつわかったのは、足首って重さがすごくかかるということ。怪我をした翌朝、お皿をキッチンのシンクへ運ぼうとしたら、小皿3枚の重さに左足が耐えられずに流しにそのままつっこんでしまい皿は割るし、ものごと全て左右対称に操作出来ない。

 

松葉杖で外を歩くのは至難の技だ。

バッグも持てない。イライラしてもどかしくて、日本は足が不自由だとこんなに生活しづらい国だったのかと改めてわかる。ラッシュアワーにとても電車に乗れる状態ではなかった。幸いにも、ウチの父ちゃんが毎朝車で会社まで送ってくれたし、帰りも可能な限り迎えに来てくれた。しかし、初日と2日目に感じたのだが、お昼休みに困ってしまうのだ。松葉杖じゃ外にランチ食べに行かれないし、かといってコンビニにお弁当を買いに行く事も難しい。手に荷物が持てないのだ。1日は先輩が気を利かせてお弁当を買ってきてくれたが、申し訳なくて明日からどうしようかと考えた。そして、息子が大学に入って以降一度も作っていなかった弁当づくりをすることにした。家から持っていくしかない。

怪我してから、バッグはリュック。帰宅もタクシーかウチの父ちゃんが迎えに来てくれた。おかげで、その週の後半には、松葉杖がなくてもオフィス内は移動出来るくらいに回復してきた。この調子なら、うまくいけば3週間で治るかもしれないとも思った。

怪我した直後は、足首も倍くらいに腫れていたのが、腫れも引いてきた。変わりに足の側面、両側だが内出血して紫色に。最初にきつく締めすぎたのか、足の甲側の中指から小指までの部分にも内出血と腫れが見られた。出来るだけ足を高く上げようと思っていても、仕事していると会社の椅子に座るしかないので、どうしても夕方以降うっ血してくる。指先を出来るだけ動かすように心掛け、少しずつ内出血を減らす努力を試みる。ネットで調べて、肉食べて筋肉を増やす事、グルタミン酸がよいらしいがなかなか売っていない。前半はシャワーで済ませていたお風呂も、後半はゆっくり使って内出血の部分を減らす努力をした。3月後半には息子の大学の卒業式も控えている。卒業式には歩いて行かれるようにしたいと思い必死だ。4月からはゴルフも復帰したいのだ。2カ月あいちゃうとさすがに心配。

 

ケガから1週間後に再び病院へ。松葉杖なしでもゆっくりなら歩けるようになったので、松葉杖を返却、診察してもらうと先生は普通にこう言った。

「じゃあこのままサポーター使って3週間固定して。3週間後にまた来てください。そこでストレスかけてレントゲンもう1回とって、足首がどれくらいの角度に戻っているか確認しましょう。」

はぁ。自分では治りが早いんじゃないかと思っていたが、そう簡単には治らないらしい。確かに、松葉杖がはずれて歩き始めると、すごく疲れる。平地はまだマシだけど、階段になると特に下りが辛い。まだ無理しちゃいけないんだと、もう若くないからちゃんと治さなければと改めて思った。

3週間後というと、4月の頭週だ。それまでは絶対に無理しちゃいけないんだって。今年の春以降元気にゴルフをするために、今ちゃんと治さねば。

 

 2013年を振り返ると・・・

というわけで、自立してゴルフをするはずが、ゴルフ場で転んでほぼ2カ月何もできなくなった。

 

若かったころ、会社のおじさんがつまづいて骨折した、なんていう話を聞いて、は?ありえない、とか思っていたはずが、いつの間にか自分がその年齢に達している事に気づかされることとなった。

 

そう、人は誰でも平等に年をとるのだ。

 

2013年は、ケガで2か月ちょっとゴルフから離れることとなり、

健康がいかに大切かを思い知らされた。

そしてゴルフ復活した時には、またまた打ち方がわからなくなってしまい、スコアも停滞、というか後退してしまった。

またやり直しなのかと悲しくなった。

 

その後は、レッスンに行く回数も減り、ラウンドが中心になった。

2013年のラウンド回数 41回、ベストスコア95、平均スコア107だった。

100を切れのは2回とも、レディースからやった、総成CC(現在のPGM総成CC)の95、東京バーディークラブの97だけだった。ケガで2か月近くゴルフができなかったにも関わらず41回もラウンドしていたことに我ながら驚く・・・

 

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